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東京地方裁判所 昭和54年(行ウ)23号 判決 1982年5月25日

東京都豊島区雑司が谷一丁目五〇番六号

原告

赤羽淳一郎

右訴訟代理人弁護士

岩井重一

東京都豊島区西池袋三丁目三三番二二号

被告

豊島税務署長

外山喜一

右指定代理人

石川善則

佐藤恭一

有賀喜政

佐藤孝一

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた判決

一  原告

1  被告が昭和五二年九月三〇日付けでした原告の昭和四九年分贈与税の決定処分及び原告の昭和五〇年分所得税の更正処分をいずれも取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨

第二原告の請求原因

一  原告の昭和四九年分贈与税の課税経過は次表のとおりである。

<省略>

二、原告の昭和五〇年分所得税の課税経過は次表のとおりである。

<省略>

三  しかし、被告が一のとおりにした贈与税決定処分(以下「本件決定」という。)及び二のとおりにした所得税更正処分(以下「本件更正」という。)は、次のとおり禁反言の法理又は信義則に違反し、違法である。

1  原告の妻の赤羽道子(以下「道子」という。)は、昭和五〇年一月二一日被告から贈与税の申告をすべき旨を通知された。その理由は、道子が実父の赤羽修司(昭和五三年一月三日死亡。以下「亡修司」という。)から別紙物件目録(一)及び(二)記載の土地(以下、まとめて「本件土地」といい、(一)の土地を「本件土地(一)」、(二)の土地を「本件土地(二)」という。)を贈与された、というものであつた。

2  確かに、本件土地については、昭和四九年八月九日の贈与を原因として亡修司から道子に所有権移転登記(以下「道子登記」という。)が行われていた。しかし、本件土地は、原告が亡修司から慰謝料の支払に代わるものとして取得したものである。そこで、原告は、被告所部係官に対し、原告が亡修司から慰謝料として本件土地を取得したとする税務処理ができないかどうかを相談した。これに対し、被告所部の江頭正係官(以下「江頭係官」という。)は、真正な登記名義の回復を原因として原告に所有権移転登記をすればよいと指導した。

3  原告は、右指導に従い、昭和五〇年二月二〇日、本件土地につき真正な登記名義の回復を原因として道子から原告への所有権移転登記(以下「本件回復登記」という。)を行い、同月二七日、江頭係官にあらかじめ報告の上、本件土地(二)を笈川豊平(以下「笈川」という。)に売却した。

4  その後、昭和五一年三月八日になつて、原告は被告から出頭通知を受け豊島税務署に赴いたところ、被告所部の鎌田光則係官(以下「鎌田係官」という。)は原告に対し「本件土地についてはあなたに対する慰謝料として認められたから、昭和五〇年二月の第三者に対する売却について申告されたい。」と述べた。そして、同係官は、その場で、原告に対し申告の仕方を指導し、更に「譲渡内容についてのお尋ね」と題する書面に原告に代わつて同係官自身が回答を記入してくれた。

5  ところが、被告は、昭和五二年七月に至り突然原告に対し、本件土地の税務問題については未だ決定していない旨を連絡した後、同年九月三〇日本件決定及び本件更正に及んだものである。

6  原告は、右2のとおりの江頭係官の指導を信頼し、これに従つて慰謝料として認められると信じて本件回復登記をしたのであり、更に、鎌田係官の右4の行為は原告の右信頼を裏付けるものであつたから、被告がその後になつてこれを否定することは禁反言の法理又は信義則に違反して許されない。

四  のみならず、本件決定は、原告が亡修司から本件土地を贈与されたと誤認し、非課税所得である慰謝料の支払に代わる本件土地の取得に贈与税を賦課したものであり、また、本件更正は、右誤認の結果、本来課税対象となるだけの所得のない原告に対し、誤つて課税したものであり、いずれも違法である。

五  よつて、本件決定及び本件更正の取消しを求める。

第三請求原因に対する被告の認否と主張

(認否)

一  請求原因一、二は認める。

二  同三について

1 同冒頭及び同6の各主張の趣旨は争い、同1と同5は認める。

2 同2のうち、道子登記が原告主張どおり行われていることは認め、その余は否認する。

3 同3のうち、原告が原告主張どおり本件回復登記を行い、昭和五〇年二月に本件土地(二)を笈川に売却したことは認め、その余は否認する。

4 同4のうち、鎌田係官が本件土地については原告に対する慰謝料として認められた旨を述べた点は否認し、その余は認める。

三、同四は争う。

(主張)

一  次のとおり、本件決定及び本件更正に禁反言の法理や信義則に違反した違法はない。

原告は、昭和四九年八月九日に亡修司から本件土地を対価を支払うことなく取得したものであるにもかかわらず、課税を免れる目的で慰謝料と主張したものである。したがつて、そもそも原告が禁反言の法理や信義則違反を主張すること自体正義に反し、到底許されるべきではない。のみならず、原告が右主張の根拠とする事情は、ことごとく事実に反し、あるいは不当に事実を歪曲したものであり、右主張は失当である。

二  本件決定は次のとおり適法である。

1 原告は、亡修司及び同人が代表取締役をしていた東洋工罐株式会社(以下「東洋工缶」という。)とを相手方として一方的に提起した家事調停申立事件(東京家庭裁判所昭和四九年(家イ)第一〇三号家事調停申立事件。以下「本件調停事件」という。)の争訟解決金として、本件土地を亡修司から対価を支払うことなく取得した。その間の経緯は次のとおりである。

(一) 原告は、昭和三一年ころから東洋工缶の専務取締役として同社の経営に参画していたが、原告には東洋工缶の経営方針に反する行為が多々あり、それが是正されなかつたことから、昭和四八年一〇月二七日開催の同社取締役会において、原告を非常勤取締役に降任することが決議された。

(二) 原告は、これを不満とし、東洋工缶を退社することを決意し、亡修司に対し昭和四八年一一月二七日付けの要求書を提出した。その内容は、<1>亡修司は原告を養子と同一に扱うことを約束したものであつて、亡修司の相続人としては道子とその弟の赤羽敬司(以下「敬司」という。)の二人だけであるから、亡修司の財産の三分の一に相当する五億円を原告に譲渡せよ、さもなければ、<2>東洋工缶の大阪工場と寝屋川工場とを別会社として独立させ、その経営を原告に委譲せよ、というものであつた。

(三) 原告は、右要求の実現を図るため、昭和四九年一月右の要求を申立ての趣旨とする本件調停事件を提起し、亡修司に対しては、事実上の養親子関係の解消を理由として「将来相続すべかりし利益相当額」として五億円相当の財産分与を求めた。

(四) 本件調停事件において、亡修司及び東洋工缶が原告に対し金銭と不動産と合わせて合計五〇〇〇万円相当のものを支払い又は譲渡することで両者の協議が成立し、亡修司は同年八月九日その所有する本件土地を原告に無償で譲渡し、また、東洋工缶は昭和五〇年に入り退職慰労金一九四二万円を原告に支給した。そして、本件調停事件は昭和五〇年八月八日取下げによつて終了した。

以上から明らかなとおり、原告は、亡修司及び東洋工缶との争訟の解決金として、昭和四九年八月九日に亡修司から対価を支払うことなく本件土地を取得したものであり、贈与税の納付義務を負うものである(相続税法九条、一条の二、二一条の二)。

原告は、「本件土地は、原告が、亡修司との事実上の養親子関係を解消するに当たり、同人から慰謝料として取得したものである」旨主張するが、原告と亡修司とは、養親子関係と同視し得るような関係にはなく、また、原告が東洋工缶の専務取締役から非常勤取締役に降任されたのも、原告が同社の専務取締役として社長を補佐する立場にありながら同社の経営方針に反する行為を多々行い、亡修司の叱責にもかかわらずそれが是正されなかつたことによるものであり、原告において亡修司に対し慰謝料を請求し得る権利ないし地位を有するものではなかつたから、右主張は失当である。

2 本件土地の価額は次のとおり一一七三万円と評価される。

本件土地は、区画整理事業の施行地内にあり、原告がこれを取得した昭和四九年八月九日当時既に仮換地の指定がされていた。そこで、本件土地の価額は、その仮換地の価額に相当する価額とすべきであり、東京国税局長が定めた「昭和四九年分相続税財産評価基準」により一平方メートル当たりの価額三万円に仮換地の地積を乗じて算定することになる。そうすると、本件土地(一)(地積一四二平方メートル)の価額は四二六万円、本件土地(二)(地積二四九平方メートル)の価額は七四七万円と評価される。

3 よつて、一一七三万円を課税価格として原告の昭和四九年分贈与税を賦課した本件決定は適法である。

三  本件更正は次のとおり適法である。

1 譲渡所得について

原告は昭和五〇年二月に本件土地(二)を笈川に一五〇六万四〇〇〇円で売却した。ところで、本件土地(二)は、原告が昭和四九年八月九日に亡修司から贈与により取得したものであり、亡修司はこれを昭和一七年に家督相続により取得したものである。したがつて、この譲渡所得は、租税特別措置法(以下「措置法」という。)三一条一項、同法施行令二〇条一項三号、所得税法六〇条により、長期譲渡所得に該当する。そして、その取得費は、措置法三一条の三第一項により、収入金額の一〇〇分の五に相当する七五万三二〇〇円となる。

そうすると、右譲渡所得については、収入金額一五〇六万四〇〇〇円から、取得費七五万三二〇〇円、譲渡費用五〇万円及び特別控除額一〇〇万円を減算した一二八一万〇八〇〇円を課税長期譲渡所得金額とすべきである。

2 利子所得について

原告は、昭和五〇年中に銀行定期預金利息合計一六万二四三七円の支払を受けた(源泉所得税額は二万四三六五円)。したがつて、右一六万二四三七円を利子所得金額とすべきである。

3 給与所得について

原告は、昭和五〇年中に赤羽製罐株式会社から給与九〇万円を受領した。したがつて、これから給与所得控除額五〇万円を減算した四〇万円を給与所得金額とすべきである。

4 なお、原告は昭和五〇年に東洋工缶から退職慰労金一九四二万円(源泉徴収税額は一四二万八〇〇〇円)を支給されたが、右退職金に係る所得税については総所得金額に含めずに別個に税額を算出されるものであり、確定申告書の提出を要しない(所得税法八九条、一二一条二項一号)。したがつて、本件更正においてはこれを含めずに計算すべきである。

原告は、1の譲渡所得を短期譲渡所得としこれについて損失が生じたとして、右退職金に係る退職所得の金額からこの損失分を控除する必要上、退職所得金額を六九六万円と申告した(所得税法六九条、同法施行令一九八条)が、1の譲渡所得は長期譲渡所得であつて、これについては前述のとおり損失は生じないのである。

5 そうすると、総所得金額を2及び3の合算額と同額の五六万二四三七円、分離長期譲渡所得金額を1と同額の一二八一万〇八〇〇円とする本件更正は適法である。

第四被告の主張に対する原告の認否と反論

(認否)

一  被告の主張二について

1 同1のうち、亡修司が東洋工缶の代表取締役であつたこと、原告が本件調停事件を提起したこと、原告が昭和四九年八月九日本件土地を亡修司から取得したこと、原告が昭和三一年ころから同社の専務取締役をしていたこと、昭和四八年一〇月二七日開催の同社の取締役会において、原告を非常勤取締役に降任することが決議されたこと、及び(二)ないし(四)の事実は認め、その余は否認する。

2 同2は不知、同3は争う。

二  被告の主張三について

1 同1のうち、原告が昭和五〇年二月に本件土地(二)を笈川に一五〇六万四〇〇〇円で売却したことは認め、その余は争う。

2 同2、3は認める。

3 同4のうち、原告が被告主張どおり退職慰労金を支給され、被告主張どおり退職所得について申告したことは認め、その余は争う。

4 同5は争う。

(反論)

本件土地は、次のとおり、原告が亡修司から慰謝料の支払に代わるものとして取得したのであり、贈与税の課税対象とはならない。したがつて、また、原告が本件土地(二)を笈川に譲渡したことによる譲渡所得は、短期譲渡所得であつて長期譲渡所得ではなく、その取得費は収入金額の一〇〇分の五として算出すべきではない。

一  原告は、昭和二七年東京大学を卒業して大手建設業の株式会社熊谷組(以下「熊谷組」という。)に入社し、そのまま勤務を継続すれば経済的にも社会的にも極めて高い地位を約束されていた。

二  ところが、昭和二八年に原告と道子との結婚の話が具体化し、その際、道子の父母の亡修司とやさ子(昭和四八年死亡)は、原告に対し、原告を事実上の婿養子として迎え養子と同一に遇したい、原告には赤羽姓(原告の旧姓は三鍋)を名乗り赤羽家の家業である東洋製缶の経営に当たつてもらいたい、と懇請した。東洋製缶は赤羽家の個人企業といつた性格の会社であり、亡修司夫婦には道子と敬司の二人の子しかなく、その敬司は若年(昭和一〇年生)で未だ事業経営を担当できなかつた。原告に対する懇請の背景にはこのような事情があつたのである。

三  原告は、右懇請を受け入れ、昭和二八年一二月道子と婚姻して赤羽姓を称するとともに亡修司の居宅に同居し、熊谷組を退社して東洋工缶に入社し、赤羽家の一員として東洋工缶の事業経営に専念し、昭和二八年当時は小規模な町工場にすぎなかつた同社の事業を今日の隆盛にまで導いた。そして、同社の事業の発展充実は、とりもなおさず亡修司の資産の維持増大に直結したのである。

四  ところが、亡修司は、実子敬司の成長につれ原告に冷淡な態度をとるようになり、昭和四八年には原告に対し東洋工缶を退社し、赤羽家を去るよう一方的に要求するに至つた。

しかし、原告としては、亡修司が養子同然として原告に赤羽家の将来を託し東洋工缶の経営を担当させると約束したからこそ、熊谷組を退社して東洋工缶の事業に専念し、赤羽の姓を名乗つて赤羽家のために尽くしてきたものである。しかも、右退社要求を受けた当時、原告は四六歳になつていた。亡修司の右要求は、昭和二八年当時にした約束に反し、右約束を信じ二〇年の長きにわたつて赤羽家のために尽くしてきた原告に対する裏切行為であり、身勝手で無責任極まる仕打ちである。

五  そこで、原告は、実質的な慰謝料請求の意味で本件調停事件を提起し、慰謝料の支払に代えて本件土地を取得したのである。

第五証拠関係

一  原告

1  甲第一ないし第一〇号証、第一一号証の一、二

2  証人鎌田光則、同江頭正、同奥山光雄、同赤羽道子の各証言、原告本人尋問の結果

3  乙第一ないし第五号証、乙第一二号証の各原本の存在と成立及び乙第一〇号証、乙第一七ないし第二二号証の各成立はいずれも認め、乙第一三号証、乙第一五号証の一ないし三、乙第一六号証の各成立及びその余の乙号各証の原本の存在と成立はいずれも不知。

二  被告

1  乙第一ないし第一四号証、第一五号証の一ないし三、第一六ないし第二二号証

2  証人江頭正、同奥山光雄、同佐藤孝一の各証言

3  甲第五ないし第七号証の各原本の存在と成立はいずれも不知。その余の甲号各証の成立(甲第三、第四号証、第八ないし第一〇号証は原本の存在と成立)はいずれも認める。

理由

一  本件決定及び本件更正に関する請求原因一、二の課税経緯は当事者間に争いがない。

二  また、原告が昭和四九年八月九日亡修司から本件土地を取得した事実も当事者間に争いがないところ、原告は、被告所部係官が、本件土地は原告が慰謝料に代わるものとして取得したものであることを認め、課税の対象としないことを言明したから、本件土地の取得を課税の対象とする本件決定及び本件更正は禁反言の法理又は信義則に違反する旨主張する。

1  よつて、検討するに、成立に争いのない甲第一、第二号証、原本の存在と成立に争いのない甲第八ないし第一〇号証、乙第一ないし第五号証、第一二号証、原告本人尋問の結果により原本の存在と成立が認められる甲第六、第七号証、証人佐藤孝一の証言により成立が認められる乙第六、第一三、第一四、第一六号証(乙第六、第一四号証は原本の存在も認められる。)、弁論の全趣旨により成立が認められる乙第一五号証の一ないし三、証人鎌田光則、同江頭正、同奥山光雄、同赤羽道子の各証言及び原告本人尋問の結果(一部)によれば、次の事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

(一)  原告(旧姓三鍋)は、昭和二七年に東京大学工学部を卒業し、直ちに大手建設業の熊谷組に入社した。昭和二八年、原告と道子との結婚話が具体化した。当時、赤羽家は、道子と父の亡修司、母のやさ子及び弟の敬司(昭和一〇年生れ)の四人家族であつたが、亡修司及びやさ子は、原告に対し、赤羽家に婿入りし、赤羽姓を名乗つて、赤羽家の個人会社(亡修司が代表取締役)である東洋工缶の経営に参画し、いずれは敬司の補佐ないし後見役として同社を盛り立ててもらいたい旨を要請した。原告は、これに応じ、道子と婚姻後は赤羽姓を称し、亡修司と同一敷地内に居住し、熊谷組を退社して東洋工缶の社員となつた(亡修司が東洋工缶の代表取締役であつたこと並びに亡修司と道子の婚姻及び赤羽家の家族関係は当事者間に争いがない。)。

(二)  原告は昭和三一年には東洋工缶の専務取締役となつた。また、東洋工缶自体も順調に成長した。原告夫婦には三人の子供が生れ、原告一家は昭和四二年ころ肩書住所地に移転した。一方、敬司は、大学卒業後東洋工缶に入社し、昭和三七年には結婚して三子をもうけ、昭和四六年には常務取締役から副社長に昇進した。そのころから原告と敬司の間において東洋工缶の経営をめぐつて確執が生じ、亡修司は、原告に対し、同社を退社して他に職を求めるよう要求するようになつた。そして昭和四八年一〇月の東洋工缶の取締役会において、同年一二月末をもつて原告を非常勤取締役に降任することが決議されるに至つた。

そこで、原告は、亡修司に対し、同年一一月二八日付けの要求書(乙第一号証)を提出した。その内容は、<1>亡修司は原告を養子と同一に扱うことを約束したものであつて、亡修司の相続人としては道子と敬司の二人だけだから、将来相続するはずであつた利益すなわち亡修司の財産の三分の一に相当する五億円を譲渡せよ、そうでなければ、<2>東洋工缶の大阪工場と寝屋川工場とを別会社として独立させ、その経営権を原告に委譲せよ、というものであつた。原告は、更に昭和四九年一月に、亡修司と東洋工缶とを相手として、右要求を申立ての趣旨とする本件調停事件を提起した(原告が昭和三一年に東洋工缶の専務取締役となつたこと、右のとおり原告を降任する旨の取締役会決議がなされたこと、原告が右のとおりの要求書を提出し、本件調停事件を提起したことは当事者間に争いがない。)。

(三)  本件調停事件提起後も、原告と亡修司側とは互に相手を非難し、亡修司において自己に非のあることを認めることはなかつたが、双方代理人の尽力もあり、昭和四九年五月ころまでに、亡修司側が金銭と不動産を合わせて合計五〇〇〇万円相当のものを支払い又は譲渡することで一応の合意が成立し、亡修司は右不動産としてその所有に係る本件土地を提示した。ただし、亡修司は、本件土地の譲渡につき次の二つの条件を付けた。一は、本件土地の所有名義を原告ではなく道子にすること、二は、原告が亡修司に対し、原告と亡修司との間には当初から事実上の養親子関係が存在しなかつたことを確認し、亡修司又はその遺産に対し何らの請求もしない旨の覚書を提出することであつた。原告は名目や所有名義にはこだわらず、取得できるものは取得しておこうとの考えから、右条件を受け入れることとし、亡修司は本件土地を道子に贈与する旨の同年八月九日付け契約書(甲第六号証)を原告の代理人に交付し、原告は同年九月一七日付けの右確認書を亡修司に差し入れ、本件土地につき同月一九日受付で右贈与を原因とする亡修司から道子への所有権移転登記(道子登記)がなされた(右合意が成立し、道子登記がなされたことは当事者間に争いがない。)

(四)  ところで、原告は、昭和四九年に入り、東洋工缶と競争関係に立つ富士コンテナー株式会社の設立及び営業活動に関与し、同年七月から同社のシエル石油株式会社に対する売上げが急増した反面、東洋工缶のシエル石油株式会社に対する売上高が著しく低下するという事態が生じた。亡修司は、遅くとも同月までには原告が富士コンテナー株式会社に関与していることを知り、同年八月一〇日の東洋工缶の取締役会及び同月三〇日の株主総会において、代表取締役の立場で、原告には背信的行為があるから原告を取締役から解任すること、原告には退職金及び慰労金を支給しないことを発議し、その旨の決議を得た。なお、亡修司は、そのころ、道子に対し、生活費として毎月一五万円を支払う旨の約定書を差し入れ、同金員の支払を行つた。

(五)  原告は、昭和五〇年に入り、東洋工缶を相手に地位保全仮処分事件及び同社等を相手に株券引渡事件をそれぞれ東京地方裁判所に提起した。そして、同年八月八日、原告、道子、亡修司、東洋工缶等の関係当事者間において、東洋工缶は原告に対し退職慰労金一九四二万円を支払うこと、亡修司は道子に対する毎月一五万円の支払を打切ること、原告は右両事件及び本件調停事件をすべて取り下げること等を内容とする紛争解決のための合意が成立し、その旨の合意書(甲第七号証)が作成された。右合意書においても、紛争につきいずれが責任を有するかは記載されず、今後互に愚痴、怨みの言動は絶対にしないことが記載された。これにより、本件調停事件も同日取下げにより終了した(本件調停事件の取下げについては当事者間に争いがない。)。

(六)  被告は、道子登記の存在を知り、昭和五〇年一月二一日道子に対し、本件土地を贈与されたことによる贈与税の申告を行うようにとの案内書を送付した。そこで、原告は、同年二月豊島税務署に出頭し、被告所部係官に対し、本件土地を亡修司から原告に対する慰謝料として認め、課税の対象としないよう取り計らわれたい旨を陳情した。これに対し、被告所部係官は、本件土地を亡修司から原告に対する慰謝料とするためには、本件土地の所有権が亡修司から原告へ移転した旨の登記がなされていることが事実上必要であり、その一方法として真正なる登記名義の回復登記があることを示唆した。原告は、同月二〇日本件土地につき、真正な登記名義の回復を原因として道子から原告への所有権移転登記(本件回復登記)を経由した。また、原告は、同月二一日本件土地(二)を笈川に代金一五〇六万四〇〇〇円で売り渡した。

(七)  被告は、昭和五一年一月二一日付け書面で原告に対し、本件回復登記の理由等を照会し、原告は同月二九日被告所部係官に対し、右の経緯を説明した。また、原告は、同年三月八日豊島税務署に出頭し、被告所部係官に対し、本件土地(二)は亡修司から慰謝料としてもらつたものである旨を説明し、これを笈川に売却したことによる譲渡所得の申告について相談した。これに対し、被告所部係官は、原告の説明どおりであるとすれば、右譲渡所得が△六四九万五八一二円になることを教示した。原告は、右の金額に基づき昭和五〇年分所得税の申告を行つた。

2  原告の本人尋問中には、被告所部係官が本件土地を原告に対する慰謝料として認める旨を表明した、とする供述がある。しかし、前掲証拠によると、原告と被告所部係官との接触は、豊島税務署において大量的に行われている登記理由の照会回答及び納税申告相談を通じての短時間内のもので、被告所部係官としては原告の説明を前提とした指導を行う立場にあつたことが明らかであり、このような立場の被告所部係官が本件土地を慰謝料として認める旨積極的に言明するということは通常考えられず、原告本人の右供述は措信できない。本件回復登記についても、前記のとおり、被告所部係官は、本件土地を原告に対する慰謝料とするためには原告への所有権移転登記が経由されていることが実際上の前提条件になることを説明したものにすぎず、本件回復登記が経由されれば当然慰謝料として認められることになるものと説明したものではない。また、本件土地(二)の売却による譲渡所得の計算に関する指導も、原告の説明を前提としての計算を指導したものであつて、本件土地を慰謝料と認める趣旨の言動ではない。

3  以上のように、被告所部係官は、原告の説明を前提とした指導助言を行つたにすぎず、本件土地の取得を課税の対象としない旨言明したものではないから、原告の主張は前提を欠き、失当である。

そして、被告所部係官が原告の説明を前提とした指導助言を行つたからといつて、本件決定及び本件更正が禁反言等の法理によつて違法となるものでないことは、多言を要しないところである。本件回復登記に関する被告所部係官の示唆も、本件土地の登記を被告の説明するところにより実体に符合させる方法としては真正なる登記名義の回復登記の方法があることを助言し、また、譲渡所得金額の計算に関する指導も、原告の説明を前提とした計算を教示したものにすぎず、仮にこれらの指導助言から原告において本件土地の取得が課税の対象にならないものと信じたとしても、それは原告の一方的な思い込みというほかなく、右の指導助言をもつて禁反言の法理又は信義則にいう信頼の対象たるべき表示ないし行為ということはできないのである。また、原告が被告所部係官の助言に従つて本件回復登記等をしたが故に税法上格別の不利益を受けるという関係にはなく、原告の権利保護のためには本件土地の取得の法的性質を客観的に検討すれば足りるものというべきである。

4  なお、被告は、原告が本件土地を取得したことを昭和五〇年二月並びに昭和五一年一月及び三月に探知しているにもかかわらず、昭和五二年九月三〇日に至つて本件決定及び本件更正を行つた。原告としては、右時間の経過によつて、本件土地の取得が被告により課税の対象とならないものと認められたと信じた面があつたかもしれない。しかし、被告としては、国税通則法七〇条所定の期間内は、決定又は更正をなし得るのであつて、右約二年半ないし一年半の間、被告の課税処分がなされないという事実状態が継続したからといつて、かかる事実状態をもつて禁反言の法理又は信義則にいう信頼の対象たる表示ないし行為ということもできない。

5  以上のように、本件決定及び本件更正に禁反言の法理や信義則に違反した違法はない。

三  次に、原告は、亡修司が昭和二八年に原告を赤羽家の事実上の婿養子として迎え、赤羽家の将来を託し、東洋工缶の経営を担当させると約束したにもかかわらず、約束に反し原告を赤羽家から追放することになつたため、その慰謝料の趣旨で本件土地を原告に譲渡した旨主張する。

1  贈与税は、贈与によつて財産を取得した場合、あるいは、法律的には贈与といえなくても対価を支払わないで利益を受けた場合等に課されるものであるところ、心身又は資産に加えられた損害の賠償金は、損害を補填する性格のもので受領者に利益をもたらすものではないから、原則として贈与税の課税対象とはならないといえる。

2  そこで、前記認定事実に基づき、本件土地が右の損害賠償金としての慰謝料の支払に代わるものとして亡修司から原告に譲渡されたか否かを検討する。

本件土地の亡修司から原告への譲渡は、昭和四九年八月九日付け契約書(甲第六号証)をもつてなされたが、同契約書上は亡修司から道子への「贈与」の形式をとつており、また、登記上も、亡修司から道子への「贈与」を原因とする所有権移転登記の形式をとつている。したがつて、譲渡行為の外形からは、本件土地を慰謝料の支払に代わるものということはできない。

そこで、亡修司の意思を検討するに、本件土地の譲渡は本件調停申立事件の提起を契機とするものであるが、本件調停申立事件における原告の申立ては、事実上の養子縁組の破棄を理由とした将来の相続分に相当する財産の譲渡請求であつて、慰謝料の支払請求ではない(ちなみに、将来の相続分に相当する財産の譲渡であれば、贈与税の課税対象となる。)。仮に、原告の申立てが慰謝料請求の実質を有するものとしても、本件調停申立事件提起後も両当事者は互に相手方を非難し合つていたもので、亡修司が損害賠償責任を認めた事実は存しない。亡修司は、原告の代理人に昭和四九年八月九日付けの契約書を交付する以前において、原告が富士コンテナー株式会社に関与していることを知り、同月一〇日の東洋工缶の取締役会において、原告の背信行為が判明したとして、原告を取締役から解任すること及び原告には退職慰労金を支給しないことを諮つているのである。更に、原告側との紛争解決のため作成された昭和五〇年八月八日付けの合意書(甲第七号証)にも、互に愚痴、怨みの言動をしないこととの記載はあるが、亡修司側の有責性を認めた記載はない。更に、亡修司は、本件土地を原告に譲渡するに当たり、原告に対し、原告が亡修司との間に事実上の養親子関係のなかつたことを確認し、亡修司又はその遺産に対し何らの請求をしない旨の覚書を差し入れることを要求した上、前記のとおり本件土地を道子名義で登記しているのである。これらの事実からすれば、亡修司は、自己の有責性を認めることなく、原告からの財産分配の要求を封じるとともに、娘一家の今後の生活を支える資とする趣旨で、本件土地を原告に譲渡したものと認められ、原告の過去における労に報いるという趣旨を含んでいたかはともかくとして、損害賠償の趣旨で譲渡したものではないと認めるのが相当である。

そして、原告は、亡修司の右意思を認識しながら、取得できるものは取得しておこうとの考えから、名目や登記薄上の所有名義にこだわらず、本件土地を取得したものと認められる。

なお、原告が慰謝料請求の原因として主張するところは、結局のところ、亡修司が原告に対し東洋工缶の経営を担当させることを約束しながら、原告を非常勤取締役に降任し、遂には取締役から解任したということに帰着するが、右の降解任が原告に対し経営参画の要請があつてから約二〇年後のことであり、しかも取締役会及び株主総会の決議を一応経ていることからすれば、亡修司が右降解任につき不法行為責任を有するかは、客観的に明白な事柄とはいえず、本件全証拠によるも、亡修司が原告に対し損害賠償義務を有していたものと認めることができないのである。

以上を総合すれば、亡修司から原告への本件土地の譲渡は、慰謝料の支払に代わるものではないと認めるのが相当である。

3  そうだとすれば、原告は対価を支払わないで本件土地を取得したものであつて、右は贈与税の課税対象に該当するものというべきである。

四  したがつて、本件決定が本件土地の取得を贈与税の課税対象としたことは適法であり、また、成立に争いのない乙第一〇号証及び弁論の全趣旨によれば、本件土地の価額は被告主張のとおり合計一一七三万円と認められる。

よつて、一一七三万円を課税価格とした本件決定に原告主張の違法はない。

五  次に、本件更正の適否を検討する。

1  譲渡所得について

原告が本件土地(二)を笈川に売却したことによる収入金額が一五〇六万四〇〇〇円であることは当事者間に争いがない。

そして、成立に争いのない乙第一九、第二一号証によれば、本件土地(二)は亡修司が昭和一七年に家督相続により取得したことが認められ、原告がこれを亡修司から昭和四九年八月九日に贈与されたことは前述のとおりである。したがつて、原告がこれを笈川に売却したことによる譲渡所得は、長期譲渡所得に該当し(措置法三一条一項、同法施行令二〇条一項三号、所得税法六〇条)、その取得費は収入金額の一〇〇分の五に相当する七五万三二〇〇円である(措置法三一条の三第一項)。

そうすると、右譲渡所得に係る課税長期譲渡所得金額は、右収入金額から、右取得費、譲渡費用五〇万円(前掲甲第二号証、証人鎌田光則の証言及び原告本人尋問の結果により、認められる。)及び長期譲渡所得の特別控除額一〇〇万円(措置法三一条二項)を減算した一二八一万〇八〇〇円となる。

2  利子所得金額が一六万二四三七円、給与所得金額が四〇万円であることは当事者間に争いがない。

3  したがつて、総所得金額を2の五六万二四三七円、分離長期譲渡所得金額を1の一二八一万〇八〇〇円とする本件更正に原告主張の違法はない。

なお、退職慰労金について本件更正に含めるべきでないことは、被告主張のとおりである。

六  以上のとおり、本件決定及び本件更正に原告主張の違法はない。よつて、原告の請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 泉徳治 裁判官 大藤敏 裁判官岡光民雄は転官につき署名捺印できない。裁判長裁判官 泉徳治)

別紙

物件目録

(一) (従前の土地)

東京都江戸川区葛西二丁目四三二一番一

(地目) 原野

(登記薄の地積) 二九四平方メートル

(仮換地)

新田土地区画整理組合九〇街区二五号

(現況) 宅地

(地積) 一四二平方メートル

(二) (従前の土地)

右同所同番二及び五七三七番

(現況) 宅地

(地積) 二四九平方メートル

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